一、縁起
霊鷲山仏教教団は、過去40年間、観音文化の保存、普及、伝播に力を惜しま ず、より多くの人々に観音を知り、近づいていただくために、無生道場のターラ ー観音、十一面観音、毗盧観音に続き、2018年に霊鷲山下院―聖山寺金仏殿に 「千手観音彩銅彫刻」を囲む108尊の彩銅観音彫刻を掲げた。この108尊の観音彫 刻はネパールの百八観音に由来し、108尊観音の聖号を具現化されたことは、世界 中でも珍しく、観音菩薩の慈悲の精神の実践と衆生を永遠に守ることを象徴して いる。
台湾霊鷲山は観音信仰と文化を推進する観音道場であり、過去数十年にわた り、観音と深いつながりをもち、2018年霊鷲山観音文化国際シンポジウムを開催 したことをはじめ、力を尽くして観音の教えと文化を推進してきた。これまでの4 回の国際シンポジウムを振り返ってみることとする。
第1回のシンポジウムは、百八観音信仰、中国観音信仰と文化の伝承、及び 観音彫刻の造形芸術、世の中の人々に百八観音を知らせることができた。第2回は 空間を主軸として、各地域の観音思想の伝承と発展の変化を明らかにし、多様な 「観音の文献」に基づいて観音信仰の脈絡と変遷を探り、文化、芸術、AI技術ま でと結びつき、一般的な仏教学術研究の枠組みから脱却し、人々に各方面から観 音を紹介し、「如何なる場所においても観音がいる」という慈悲の精神を共感さ せた。第3回の「時空を超え、観音と出会う」においては、時間を主軸として、歴 史によって異なる観音思想の発展と文化をテーマに議論を展開した。第4回の「か の観音力を念じ、人間世界に浄土が現れる」においては観音精神に基づき、現在 の地球の環境問題を顧み、「観音の浄土は心の浄土である」という意味合いをい かにして観音精神を浸透させるか、地球の環境危機を乗り越えるための具体的な 行動と解決策を見つけようと試みた。
今回の第5回シンポジウムの開催にあたり、世界規模で発生し、2020年3月 に世界保健機関(WHO)がコロナ(Covid-19)を「世界的大流行」と位置づけ た疫病の発生から今日に至るまで、ウイルスの変異が止まらず、今でも何千万人 もの人生を変えつつある。ウイルスはあらゆる国、地域と世界範囲で、より長く 深く影響を及ぼし、一部の影響は取り返すこともできなくなっており、これをも って、人類の歴史の軌跡さえも変わってきた状況に置かれている。コロナの世界 的大流行は、未曽有の規模でことごとく世界を変え、人と人、国と国、あらゆる 生命と自然との関係、または生と死の距離まで縮め、生命の無常さに対して人々 は強く共感ができ、この世にある諸々の衆生が一層脆弱になり、大きな災禍と危機が人々の内心にある不安までも加え、安穏無事に生活することはできなくなっ た。この何もかも連続的に変化が起こっている時代に、唯一変わらないものは何 かと考えさせられるようになった。
内なる恐怖や不安を取り除くために、この疫病が蔓延している時代において 我々はずっと信仰の力として「心を静める」方法を探求している中、心道法師は 「静けさは宇宙最大のエネルギーである」と主張した。心が脆弱になるにつれ、 信仰が強くなるこの時代では、「観音信仰」こそは無常で微弱の時代の無量光で あると我々は確信している。 観音菩薩は、菩薩にとどまらず、その慈悲の精神 が「千処の祈願に千処にて応え、常に人に苦海を渡らせるための舟(千処祈求千 処應,苦海常作渡人舟)」であり、さらに時空を超え、「人格をもつ神」のような 存在となった。この世界は多元であり、我々は自然と、他人と、万物と、また、 我々の生命は自然とはどのような関係であるかを考える際に、私たち一人一人は 自然の中の一部であり、一人で生存することができず、観音菩薩の慈悲とつなが る方法を学び、自ら内側から変化を起こすことが必要であると反省せざるを得な い。したがって、心を静め、世界の美しさに目を向けたとき、慈悲心、菩提心、 平常心で永遠の生命を創造することができると考えられる。「念」を起こすこと はもとより、「覚」を遅らすことを恐れるべきであり、人生において喜びと安寧 をえられることは「自在観自在」である。
二、テーマの方向
自然と生命 自在観自在
(一)自然と生命
「自然」は世間が往復循環している現実である。例えば春夏秋冬の季節の移 ろい、人間の生老病死の輪廻、心の生・住・滅の変遷,物質の成・住・滅の変化 など、これらすべては自然の法則に従っている。世の中のものは、自然の法則に 従えば生命が誕生し、自然の法則に従えば成長ができ、自然の法則に従えば形が でき、「真」、「善」、「美」となる。いわゆる自然とは、人間の心であり、真 理であり、宇宙の秩序であると言えるだろう。天意に従う者は栄え、天意に反す る者は滅びるように、世間の繁栄と衰退は自然の法則と密接な関係にある。それ だけでなく、人間の生活もまた、自然の法則に従えば健康となり幸福に満ちるこ とになる。
釈迦が菩提樹の下で悟った宇宙の真理の「縁起性空」は,宇宙範囲の自然 の法則である。自然は輪であり、善き原因が善き結果をもたらし、悪き原因が悪 き結果をもたらすもので、因果の循環往復の中に始まりも終わりもない。太古か ら、生命は自然のサイクルの中で何千回もの誕生と消滅を繰り返してきた。死は もちろん、生がなければ始まることもない。生は死のための準備でもある。した がって、生は生まれることだけではなく、死は死ぬことだけではなく、生命の炎は消えることはない。生命は「縁起」の法則と最も密接な関係にあり、生命は無 から生じるものではなく、自らの「業力」によって生み出されるものである。単 なる原因で生じるものではなく、「十二支縁起」と「三世の因果」によって生み 出されるものである。
どのようにして人間は万物と自然と調和して共生できるのだろうか。生命が 尊いのは、生命と自然との深い繋がりと相互依存があるからであり、生命が尊い のは、すべての生命が長い年月をかけて自然の因縁によって生み出されたものだ からである。我々は自然に従い、自らの本性に従い、因縁に従い、心に従って安 らぎを得、自我の世界と外の世界と融合して、本来ある自らの覚性を輝かせるべ きである。このようにして、生命の光と熱を十分に発揮することができたとき、 自然と人生の間の「物我一如」を実現することができると思われる。
生命と自然界、気候、植物と動物との関係は非常に密接であり、それらは すべて生命共同体の一部である。気候に異常が生じれば、干ばつや洪水が起きた り、植物の活力が弱まり、私たちが生きるための食料や野菜が不足となれば、生 命を維持することが困難となる。自然のサイクルは複雑に絡み合っているため、 私たちは自然と万物に敬意を払い、感謝の意を持たなければ、自分だけでは生存 することはできないだろう。
我々は、世界中で多くの人々と観音の慈悲の精神について学ぶことを望ん でいる。万物を愛し、特に急速な技術発展のこの時代において、人々はこれまで 以上に観音の召喚を必要とし、この愛を自分たちの生活と生態環境の中に取り入 れる必要がある。環境問題に着目し、災難や戦争を起こさず、人々が平和の下で 「多元共生・相互依存」の生態の調和を達成できるように意識を高める必要がある。自然に従えば、我々の心が解放され、我々の人生は自由になっていくのだろう。
(二)自在観自在
観自在とは、観音菩薩の別称であるが、観自在は観音菩薩に限らず、我々一 人一人も観自在であると言える。「我々は常に自分の心の変化を観察できるか、 または自分の心が安らかであるか」を問い続けて生活すれば、観音菩薩のように なれると考えられる。どのようにして、「観自在」の名の通りになれるのか。ど のようにして、自分自身が「観自在」そのものになるのかと考えるとき、まず 日々の生活の中で、事の自在、人の自在、場所の自在、音の自在、真理の自在、 心の自在を観察することから始めるべきであろう。
善き行いをし、人を助けることから観世音になることを体感する。万物に 慈悲の心をもって接触し、観自在のように衆生と世の中のあらゆる現象に向き合 い、万物に近づけることによって、一歩一歩自分の境界を高め、観自在のような 行為を実践することを通して自分の智慧を開発していく。尊敬、寛容と友愛の理 念によって、迷っている衆生の中で悟ってゆき、永遠不変に慈悲の心を持って他 人と付き合い、互いに寛容な態度で接すれば自在になれると実感できるだろう。自分の煩悩の原因を省み、煩悩と欲望を取り除けば自在になれる。人の自在を観 ずると同時に、自分自身を観ずることによって、観世音になることを学べる。観 音の行為を実践することによって観自在の境地に到達でき、自由自在に観ずるこ とができるからこそ「自在観自在」と言えるのだろう。観音に礼拝・祈願して自 分の心身を落ち着かせ、慈悲の心を持ち、日常生活であらゆる善行を実践すれ ば、我々も観音の化身になり、日常生活の中でも穏やかに過ごし、心身ともに安 らかになることができる。自在観自在によって、観世音の慈悲の心を起こし、観 世音の善行をし、観世音の道で共に歩んでいくことは我々の目標である。
三、日付
2023年10月03日(火)
台灣時間:AM09:00-PM16:30
日本時間:AM10:00-PM17:30
四、会場
日本名古屋國際中心會場ホール (別棟)(Nagoya International Center Hall)
五、打ち合わせ方法
日本の名古屋でオンサイト物理的な会議を実施。
六、主催者
主催:靈鷲山佛教基金會
运営:靈鷲山全球百八觀音文化總會、日本脩志學院
七、內容
A.專題論文發表
1. 講演者:釋廣純/靈鷲山佛教教團宗委法師
2. 講演者:安藤彌/同朋大學佛教文化研究所所長
3. 講演者:冨田栄一/岐阜市民醫院顧問
4. 講演者:佐藤幸司/佐藤補綴研究室代表
5. 講演者:檀上宗謙/臨濟宗妙心寺派西光禪寺住持
B.專題討論
主題:自然與生命
主持人:周夏教授
與談人:釋廣純、檀上宗謙、立川武藏、高岡秀暢、安藤彌、 冨田栄一、佐藤幸司、陳國寧
八、観音国際シンポジウムアジェンダ
專題摘要暨講者簡介
釈 広純
霊鷲山仏教教団宗委法師
抄録
世間の音を観じ、人間浄土を成就する ――霊鷲山観音法門の実践
霊鷲山仏教教団の開祖心道法師は中国雲南省とミャンマーの境目に 生まれ、4歳頃に孤児となって、幼い時に戦争を経験し、森の中で厳し い生活をした。少年期に遊撃軍に吸収され、終日山林や沼沢の中で過酷 な生活を送っていた。
13歳の時、心道法師は部隊とともに台湾に退いたが、当時の社会は 機能が戻りつつあり、経済も安定してきた。心中で大きな衝撃を受け、 平和の種が芽生えた。彼は幼兵の身分で就学し、15歳の時に軍医の口 から観世音菩薩の名号と霊験談を初めて聞き、思わず涙をし、一生観音 を師とし、声を聞いて衆生を苦から救い出す慈悲の精神に学ぼうと誓った。
心道法師は究極の解脱を求めるため、25歳に出家し、墓場にて苦行 を始めた。その後、微細な煩悩を取り除くため、さらに断食による修行 に精進し、人込みより遠ざかって、福隆荖蘭山(台湾の地名)に赴き、 「我成道せずには止むことなかれ」と決心し、2年間ほど断食修行を経 て「衆生をことごとく救い出せばこそ、菩提を生ずることができる」と 深くに感得した。修行を終え、甘露の門を広く開き、世に入って法を広 め、衆生を救済することに励んだ。自らが体得した甚深なる禅修の体験 を観音菩薩の慈悲たる願力に合わせて、衆生への利益を実現させるため に「世界宗教博物館」を建立することを第一の志とした。
「慈悲と禅」は霊鷲山の宗風であるとともに心道法師が四衆弟子を 率いて修行する指針でもある。禅とは心を摂することであり、涅槃寂静 において菩提心を発し、一念の清浄なる心をもって因縁に従って衆生を救い菩薩道を行ずることである。したがって「禅」は我々の心を安寧さ せ、原点に帰させることができる。心に安寧さえ得られば「慈悲の心」 が生じ、観音の普門をもって人々に見せることができ、様々な衆生に合 わせて仏法を見せ示すことができる。そのため、毎年霊鷲山は水陸法会 (日本の盂蘭盆、施餓鬼に相当)を開催し、孤独老人に寄り添い、宗教 を超えてイスラム・仏教対談を行い、優秀な学生に奨励し、災難地域に 援助してきた。心道法師は人々に観世音菩薩の「声を聞いて衆生を苦か ら救う」を学び、観音菩薩の大慈大悲、苦難から衆生を救う精神を行 じ、衆生に愛を与え、観音の化身になると誓い、まずは自ら毎日禅を修 め、心を安静させ、無形無相、物質と離れた涅槃妙心に悟入することを 促し、心から愛が生まれ、慈悲が生まれ、衆生、または地球に利益を与 えることができるようになると提唱した。このようにして、真に衆生に 苦から離れさせ、一切衆生が仏道を成就させることに道行くことができ ると考えた。
地球、または人類を持続させるために、心道法師は生命和平大学を 創立することを誓い、「地球を愛し、平和を愛する」理念をもって、多 元共生、相依共存の生命共同体を広げた。地球の生態環境を取り戻すた めに、環境治癒の方法を模索していくとともに教育を通して人類に平和 の種を撒き育て、観音の慈愛の精神をもって万物精霊を愛してきた。観 音の愛の心を生態に生かせ、人々に自分の生存環境について重視させ、 生態が永続させ、地球を災難より回避させ、戦争を治め、地球を平安に 取り戻し、人類に平和をもたらせ、「多元共生・相互依存」の生態調和 を実現できるように我々霊鷲山宗教団体がこれからも努力する所存であ る。
安藤弥
〈現職〉
同朋大學教授
〈来歴〉
名古屋大学文学部史学科卒業
大谷大学大学院博士後期課程文学研究科修了、博士(文学)
大谷大学助手、同朋大学専任講師、同准教授を経て現職
同朋大学仏教文化研究所所長
真宗大谷派擬講
〈専門分野〉
専門は日本宗教史、特に戦国時代の本願寺・一向一揆を中心に研究
〈研究業績〉
主な研究業績として、著書に単著『戦国期宗教勢力史論』(法藏館、2019年)、編著『大系真宗史料』文書記録編13儀式・故実(法藏館、2017年)など。論文「宗教一揆論という課題」(『日本史研究』第667号、2018年)、『仏教史研究ハンドブック』(法藏館、2017年 編集委員長)。
抄録
浄土真宗という仏教における観音菩薩
本報告では、日本の浄土真宗という仏教において、観音菩薩がど のような存在として位置づけられているのかについて紹介する。浄土真 宗の本尊は阿弥陀如来であるが、観音菩薩が、たとえば阿弥陀三尊とい われるようなかたちで、勢至菩薩とともに脇侍として明確に示されてい ることはない(例外として高田専修寺派に善光寺如来・一光三尊仏はあ る)。
しかし、浄土真宗の宗祖(開祖)である親鸞(1173-1262)の生涯 において、観音菩薩は重要な位置づけにある。
一つには、親鸞が29歳で比叡山延暦寺と決別する際、京都の六角 堂において百日間の参籠を行い、聖徳太子の導きがあって観音菩薩から の夢告を受け、法然(1133-1212)のもとに向かい、専修念仏(浄土真 宗)の教えに帰依するというエピソードがある。ここで観音菩薩は親鸞 において、その苦悩を受けとめる救済者としての性格がある。史料「親 鸞伝絵」(親鸞の曾孫によって撰述された親鸞の一代記)に掲げられる 「行者宿報偈」(観音菩薩が女身となって親鸞の苦悩を受けとめ、その 一生を豊かなものにし、臨終には浄土に引導するという内容)がそれを 示している。と同時に、真実の教えの世界に導き入れる役割も果たして いる存在である。史料「恵信尼消息(第三通)」(親鸞の妻の手紙)に は、善人も悪人も関係なく「生死いずべき道」(専修念仏の教え)があ ることを説く法然のもとに行くよう示唆する内容があるとともに、恵信 尼自身が親鸞の近くでその苦悩をともにしていたことをも推測させる文 脈が見出させる。また、このエピソードにおいては聖徳太子(観音菩薩 の化身)信仰との関係も重要な要素となっている。
もう一つには親鸞が関東にいた頃(40~60代)、一緒に暮らして いた妻恵信尼があるとき、夢の中で親鸞を観音菩薩の化身とみるエピソ ードがある。同じく史料「恵信尼消息(第三通)」に示される内容であ る。恵信尼は夢の中で法然を勢至、親鸞を観音と確認するのであるが、 夢から覚めて後、親鸞と語らう際には勢至は法然とのみ確かめるもの の、観音の話はしないことで密かに親鸞を観音とみていたとする。
そして、以上の二つのエピソードを恵信尼は親鸞が没した直後、娘 の覚信尼に対して、手紙(返信)で、親鸞が確かに浄土往生をした証拠 として、伝えているのである。
こうした浄土真宗における観音菩薩のありかたが、アジア仏教全体 のなかでどのように捉えられるのかについては、諸賢のご示教をいただ きたく願う次第である。
冨田栄一
〈現職〉
松波総合病院特別顧問
岐阜市民病院顧問
岐阜大学医学部客員臨床系医学教授
〈来歴〉
1973年 京都大学医学部卒
1988年 岐阜大学第一内科助教授
1989年 岐阜市民病院消化器内科部長
2001年 岐阜大学医学部客員臨床系医学教授
2005年 岐阜市民病院 病院長
2019年 岐阜市病院事業管理者
2023年 松波総合病院特別顧問、岐阜市民病院顧問
〈学会〉
日本内科学会:指導医、認定医、
日本消化器病学会:功労会員、指導医、専門医、
日本内視鏡学会:功労会員、指導医、専門医
日本肝臓学会:指導医、専門医
日本医療マネジメント学会:評議員
〈主な講演・業績〉
ウイルス肝炎、地域医療連携、医療マネジメントなどをテーマに講演・執筆、 生と死を考える会や人間福祉学会などでも講演
抄録
医師から観た生と死についての考察 ―医学の進歩と見えない世界を視野に入れて
私は観音文化については素人ですが、一人の内科医として長年臨床 に携わってまいりましたので、その経験と医学の進歩を視野に入れなが ら、「自然と命」についての考えを述べさせていただきます。
人間の寿命を振り返れば、日本人では女性で14世紀は24歳、19 世紀は44歳、20世紀(1947)は54歳でしたが、21世紀(2021)では88 歳となっています。当然、死に至る疾患も変遷し、認知症なども増加し ていますので、生や死に対する考え方も変化していると考えられます。 そのような社会変化の中で、医療も進化し、例えばがんになっても長期 生存が可能になり、仮に死に至るとしても、痛みをコントロールし家庭 で終末を迎えることも可能になってきています。ですから、がん一つと っても単純に怖がる時代ではなくなってきています。
また、私が医師になった1973年頃は、がん患者に病名を告知する ことは稀だったのですが、21世紀には個人情報重視の考えで本人告知が 原則になりました。つまり、逆転の発想が必要な時代になってきている と思われます。20世紀には、ただ命を延長させることが第一義であり、 患者さんのQOL(quality of life)は二の次で、根底に「死=敗北」という価 値観があったと思われます。しかし、21世紀になり、患者さんのQOLに 最大の価値を置き、治療についてもご本人に選択していただくよう変化 してきております。さらには、最近は、自分の終末の在り方についても 自分で考えていただくことが提唱されるようになりました。つまり、今 度はQOD(quality of death)も考慮する時代になったと考えております。 「世界の死に方と看取り」(文藝春秋)によれば、国によって、QOLと延命のどちらを大切にするか、またそれを誰が決めるかなど事情が異な っています。どれが正しいという議論よりも、個人個人が何を大切にし て生きていくのか、その個人の要望にいかに私たち医療者が応えていけ るのかが課題であると考えています。そのための技術を発展させ、多く の選択肢を提供できるようにしていくのが医療従事者の責務であると思 われます。
一方、そのような中で、個人個人は「自分自身は生と死をどう 捉えるのか」という人間として根元の問題に向き合わざるをえなくなっ てきているように思います。経済発展をした影では、人間として当然向 き合うことになる『生老病死』という四苦を自宅から遠ざけてしまった ため、それらに正面から向き合って考える機会が減っていると思われま す。
従って、医療の進歩と共に、患者さんに対して提供できる医療内 容が変貌してきていますので、それらの事実を国民に広く知っていただ くことによって、自分の価値ある人生をどう生きるか、もう一度冷静に 考えていただきたいと思います。そのことで、観音思想に通じる考え方 を勉強したり、目に見えない世界のことも真剣に考えてみる機会になれ ばと願っています。
本日は、このような医療側の視点からみた観音文化について私見 を述べさせていただくと共に、東西文明が800年周期で交代するという 「文明興亡の宇宙法則」(岸根卓郎先生)についても触れてみたいと思 います。
佐藤幸司
〈現職〉
佐藤補綴研究室代表
〈来歴〉
1976年 大分県歯科技術専門学校卒業 納富哲夫先生に師事
1980年 東海歯科医療専門学校 非常勤講師
1985年 佐藤補綴研究室開設
(公社)日本歯科技工士会生涯研修認定講師
1990年 名古屋市立大学医学部研究員第一解剖学教室入局(2006年まで在籍)
2002年 BPS公認国際インストラクター(イボクラール)
2003年 明倫短期大学臨床教授(2010年3月まで)
2009年 台北医学大学口腔医学院臨床教授(2010年3月まで)
名古屋歯科医療専門学校非常勤講師
2017年 神奈川歯科大学顎咬合機能回復補綴医学分野特任講師(2023年3月ま で)
2023年 愛知学院大学歯科技工専門学校非常勤講師
抄録
総義歯学と観音思考
仏教では、歯は生命の象徴であり、欲望や無常性を表しています。生 命の源としての歯(入れ歯)の役割が強調されます。歯は食物を咬むための 器官であり、私たちの生命・生存に欠かせないものであります。歯を失うこ とは、生命力や生存の基盤の一部を喪失することを意味することになりま す。また、仏教の教えでは、欲望や執着が苦しみの原因であるとされていま す。歯は食欲や食物への執着を象徴し、人間の欲望の一部を表しています。
このように、歯は仏教において物質的な欲望や執着の象徴とされるこ とがあり、歯は加齢や病気などの要因によって失われることがあり、この無 常性を示す一例とされています。
仏教の修行において、苦しみを乗り越える必要もあり、歯が痛んだり欠 損歯となったり、総義歯になることは、身体的な苦しみや心理的な不快感を 引き起こす要因となります。このような状態では、悟りへの道を歩む上で障 害となることがあります。
したがって、歯の重要性を認識していただき、口腔ケアーに留意するこ とは仏教の教えと調和していると思います。私たちは歯を通じて生命の一部 を感じ、欲望や執着を超える修行を行うことができるとされています。
歯の存在とケアーによって、仏教の教えをより深く理解し、苦しみを乗 り越える道を歩むことができると考えます。
時間の許す限り、皆様とディスカッションができれば幸いです。
檀上宗謙
〈現職〉
臨済宗妙心寺派西光禅寺住職
〈經歷〉
龍谷大学卒業
カリフォルニア大学バークレー校短期留学
インド・ヨーガの里リシケシへ単独渡航、より仏教に目覚める
1989年建仁寺にて修行
神勝寺アジア精神文化センターを創設し東洋思想を中心とした禅・ヨーガ・気 功の一般講習会を主催。また食育をベースとしたマクロビオテックの教師
2002年西光禅寺に入寺以降、2013年から世界平和へ向け海外活動を続け、アメ リカやオランダでの坐禅、マインドフルネス瞑想会
2018年国連本部にて世界平和瞑想会を開催
著書『般若心経CDブック』、『優しくなりたく候』日本語・英語版等
抄録
ミトコンドリア・メディテーション
私は福山市郊外の片田舎の山中の兼業農家で生まれました。ほとん ど周りにはお店やレストランなどは無く、自給自足の自家製の野菜やお 米を食べさせて頂き18歳まで育ちました。
大学は京都でしたが、大都市の環境に出会い、生活様式がこんなに も違っているのかと驚きの毎日でした。もちろん肉食しない環境で育っ たので、京都の街中で初めて肉食した時には驚きでした。もちろん今は ずっとビーガンですが。
ところで、私が今の環境下で自然の中に佇む時、自然の豊かさを感 じる度合いは私が幼少期に体験した環境とは年々と大きく変化している 事を感じておりますが皆様はいかがでしょうか。
自然の中にある本当の優しさは、菩薩界の中におられる観音菩薩様 と同じ意識を感じる事があります。春になると家の近くにあった松林の 大きな根っこを枕にして青い空を眺めながら雲が行き交う景色を見なが ら、松の春の新芽の爽やかな香りに包まれながら、何度も私と松の木が ひとつになって行った体験がありました。夏になるとその枕の松の根っ こから甘い蜜が出るのでいつも美味しく頂きました。正にお釈迦様がご 誕生された時、天界から降って来た甘露の様な味でした。
私の長年の友人・サバンテペーボ博士が2022年にノーベル生理学医 学賞を受賞致しました。古代人類のネアンデルタール人の遺伝子を解明 した研究が認められての受賞式でした。彼から学んだ事ですが、私達の細胞の中にあるミトコンドリアにご先祖からの遺伝子情報がありそれら は毎日、転写・コピーされながら新しい細胞を作られ私達の生命が生か されていることは明らかになりました。
そのミトコンドリアはあらゆる生命体の中に存在して、無意識下で つながりあって育まれています。
また造花の花にはミトコンドリアは存在してはいませんが、生花の 花には確かなミトコンドリアが存在し私達は生花を見る事でお互いに優 しさの意識とつながりより元気を頂きながら暮らして行けます。
あらゆる生命の中に毎日「貴方は私」、「私は貴方」と言えたり話 しかけるこのマントラの様なことばは正にお釈迦様が説かれた慈悲心で 生きる世界を感じています。
そこには体内のミトコンドリア同士で転写し合う慈悲心の光の情報 でつながり、私の幼少期に出会えた慈悲深い松林の中にあったあの松の 木のミトコンドリアとつながると、またひとつになると切に感じます。 そのようにして、相手に優しく、より幸せで豊かな生活や地球上で生か されているそれぞれ各国の国作りとなると信じております。
自然を大切に出来る子供達に向けた「ミトコンドリア・メディテー ション」と言う新しい言葉を掲げて人類同士が争うのことなく、これか らも更に平和な時代に向けて提供させて頂きつつ、日本国内外で瞑想会 を開催しております。
愛する台湾にもいつか出かけてと思います。
松下座我借身 天命尽同根松 大慈悲観音光 平安導自然愛
高岡秀暢
● 現職
日本曹洞宗德林寺住持
● 專業
尼泊爾佛教暨百八觀音研究
● 著作
《ネパール仏教の信仰と儀礼》、 ネパール祭礼護符集
● 譯作
『 1982 ~ネパール百八観音紹介』
1972年大學畢業後得到在加德滿都長期停留、做研究的機會,長期關注百八觀音信仰文化與宗教信仰,在尼泊爾看到當地人對百八觀音的虔誠信仰,深受感動,因此想將百八觀音信仰介紹到日本,期盼這樣的密教觀音信仰能對日本的觀 音信仰有所啟發。因此開始著手出版《百八觀音木刻圖像集》遵循尼泊爾傳統,請尼泊爾佛畫師畫草稿,請雪巴族的雕版師刻木板,再以喜馬拉雅山麓手工製作 的紙來印刷,貼在手工製的紙本上,1979年在日本出版了這套珍貴限量的圖像集。
1970年,高岡法師在尼泊爾地區發現了許多梵文大乘佛教經典的寫本,而當地保護這些珍貴經典的環境非常惡劣,保護工作是當務之急,為此他長期以來致力於以照片等形式記錄這些梵文經典,並在當地成立了以文化保護繼承為目的的 尼泊爾盆地文化保存研究所,目前這項工作在尼泊爾當地的大學、研究機構產生了一定影響。但由於當地各方面條件均不具足,高岡法師期待更多的機構和個人對這一事業給予關注。
立川 武藏
● 學歷
立川 武蔵は、日本の宗教学者。
国立民族学博物館名誉教授。
専攻は仏教学・インド哲学(インド文献学)。
愛知県名古屋市生まれ。
東海高等学校を経て、
1964年 名古屋大学文学部インド哲学専攻卒、
1966年 同大学院修士課程修了、
1967年 同博士課程中退、
1970年 ハーバード大学大学院インド学科博士課程単位取得退学、
1975年 The structure of the world in Udayana's realism により同大学Ph.D、
1985年 「中論の思想」で名大文学博士。
● 来歴
名古屋大学文学部講師、1973年助教授、1982年国立民族学博物館助教授併任、1989 年名大および民博教授、1992年総合研究大学院大学教授併任。2004年3月民博名誉教 授、同年4月から2011年3月末まで愛知学院大学文学部国際学科教授を務めた。 仏教、ヒンドゥー教をその原典に立ち返って解釈する仕事を行なっている。
● 受賞.受勲歴
1991年 アジア.太平洋賞特別賞(「女神たちのインド」により)
1997年 中日文化賞[1]
2001年 中村元東方学術賞
2008年 紫綬褒章
2015年春 瑞宝中綬章
周夏
● 現職
同朋大学仏教文化研究所客員研究員/脩志学院理事
● 學歷
名古屋大学文学部卒、同大学博士前期課程修了、
愛知学院大学博士後期課程修了最終学歴 博士(文学)
● 専門分野
仏教文献学、仏教思想史
● 研究業績
『華厳仏教思想の形成』
『華厳経』の諸仏と世界
「普賢行願思想の形成——七支供養と十大行願」
「金剛界曼荼羅の研究」
「梵典宮蔵梵文『普賢行願讃』攷」
「BhdracarīpraṇdhānaとGaṇḍavyūha」
「此方と彼方——華厳の世界と極楽の世界」
「大乗仏教の救済思想——『華厳経』と誓願」
「震災後日本人の行為——仏教の日本式受容と変容」
陳国寧
●現職
霊鷲山全球百八観音文化総会会長
国際博物館協会アジア太平洋分会
(ICOM ICOFOM-ASPAC)常務理事(前理事長)
中華民国博物館学会副理事長
世界宗教博物館名誉館長(前館長)
文化部文資局文化遺産審議委員
国立台湾美術館諮詢委員
国立科学工芸博物館コレクション審議委員
台中市、嘉義市、南投県等博物館審議委員
● 経歴
台南市美術館理事
高雄市文化芸術機構理事
中華文物保護協会理事
2023 日本觀音朝聖之旅回顧